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オーストラリア人彼女との国際恋愛ブログ、ときどき英会話

オーストラリア人彼女との国際恋愛と英会話についてのブログです。

ブログで振り返る2016年

皆さん、こんにちは。ワーキングホリデーでオーストラリアのパースに滞在している、インスタントヌードル食べて気持ち悪くなったHideです。

 

遅くなりましたが、2016年を振り返ってみようと思います。よく考えれば丸々一年オーストラリアで過ごしたんだよな。こんなことって人生の中でも中々レアだと思う。というわけで行ってみましょう。

 

「のんびり楽しい1月」

この頃まだファームにいました。

海外出て来てからのsecond big broのyoshiさんが旅立った寂しさの傷も癒えてきて、少人数ながらも楽しく畑いじりしてました。

12月にクソみたいな監督者がいなくなってから、誰からも圧迫されることのない、むしろ俺らが圧力かける側に回っており、我々はヒエラルキーの頂点の三角形に君臨しておりまるで天国のような生活が続いてました。

40℃近く気温が上がり、毎日3ℓ以上の水を飲み、休憩時間に食べる洋梨の美味しさとみずみずしさ、りんごのまぁ洋梨ばっかり食べてても飽きるしインターバル的な感じでとりあえず食っておこう的な脇役感は一生忘れない。

ファームの楽しい時期のピークはこのあたりだったかも。

 

「何かが狂い始めた2月」

ファームでの人間関係が荒れ始めました。

勃発する日韓戦争、ファームにいる誰もが一度はおかずにするであろう熊本が生んだ美女☆はますなさんと弁慶の終わり無き戦い、当初はめっちゃ盛り上がってた英語の勉強会も日々マンネリ化していき、俺の娯楽はダルベッグのまっちゃんこと久保さんとランクルの屋根に登り、上半身裸になりながらオーストラリアの大地が揺れるほど笑うことだった。

 

なお、この時期から俺氏だけオーストラリア人やヨーロピアンと一緒に仕事することになり、ネイティヴの英語わかんねぇよ!って言いながらそこら中じんましんだらけになりながら仕事してました。ファームの敷地内を駆け巡るゴーカートのデカいやつみたいなの乗り回してて俺は完全に風になっていた。

 

「どきどきワクワク旅立ちの3月」

ついに5ヶ月にわたるファーム生活が終了しました。

久保さんが出て行くってなった時に、んじゃあ俺も出るわってなって出て行きました。スローライフも満喫し、目標も達成したし、次のステージに行きたかったのでしょう。

次の目的地はパースです。三回目。ファームのみんなに別れを告げ、道中のランクルでははますなさんの彼氏からこの一時間だけいちゃいちゃしててもいいよという許しを頂き、はますなさんの太ももを堪能した後に俺達のメッカであるAyrという街のバッパーに一人で泊まり、ケアンズ行きのバスに揺られ、身長2mのアラスカ人男性と仲良くなり、アラスカの写真を見せてもらってアラスカマジで魔界って恐れ戦いてました。

 

ファームでセカンドビザをゲットして資金貯めて、ようやく韓国領ダルベッグを離れ、俺の真のオーストラリア生活が始まるんだとバスの中でワクワクしてたのを今でも覚えてます。

ポケットモンスター不思議なダンジョンのBGMが頭の中で流れてました。

 

そしてパースに到着して数日後に、今の彼女と出会いました。初めてのデートしたのも3月です。もう僕の心は完全に童貞に戻りました。

 

「新しい生活の始まり4月」

4/1に恋人同士になりました。嫁は二次元にありと豪語していた私ですが、まさか三次元の女の子に恋をするとは。

 

実は、数週間パースに滞在した後に西オーストラリアの地で再びファームジョブを探そうと思ってたのですが、彼女出来たばっかりなのにいきなり街を出るのはどうかと思い、パースに滞在することを決めました。

滞在するからには仕事を探さなあかんし、せっかくオーストラリア来たならローカルジョブやってこそやろってなもんで、仕事探しに精を出してました。

 

早くて数週間、長くて数ヶ月かかると言われていた仕事探しですが、一週間ほどで仕事が見つかり有頂天になっていたら、妖怪高速皿洗いの登場により二日でクビになるという屈辱を味わいました。

 

それでもめげずに再び仕事を探し、見事別のローカルジョブをゲットし、宮キッチンハンド・ライジングを達成したわけでございます。

俺は世間での一般論の枠の外に存在する人間だということを再び実感した瞬間でもありました。

 

なお、最初の仕事が決まった時に、元々住んでた台湾人のシェアハウスを飛び出し、とあるオージー夫婦の家に引っ越したのですが、こいつらがとんでもないキチガイでそれはそれは大変な目に遭いましたあいつら絶対に許さんでな。

 

「都会っ子になりつつある5月」

上記のキチガイ夫婦の家はもうこれ以上住みたくないし新たな職場から遠いし住んでる意味全くないので、今度はクビにならずに続けていけるという確信を持った後に、職場の近くに引っ越しました。

韓国人の女性が運営しているシェアハウスで、多少古いものの立地はよく、彼女の家からも近いのでそこに引っ越しましたが、こいつも大概でした。

また、そのオーナーは建物全体を借りてるのですが、その実態は売春宿で、空いてる部屋に売春婦だったり俺みたいな何も知らない人間を住まわしたりしてたみたいです。

 

そして5月からだんだんと寒くなっていきます。それが意味するとことは、飲食店がだんだん暇になってくるということであり、そうなると今日は早く帰っていいよとか来なくていいよとかってなるわけです。

それでは生活に支障をきたすし、どうにかならぬものかと思ってた矢先に、以前履歴書をメールで送ったラーメン屋さんから電話がかかってきたのです。

無事空いてる日にシフトに入れることになり、経済的問題は解消されることになりました。

 

また、この頃には大分パースでの生活にも慣れ始め、徒歩や交通機関、車を駆使しそこら中飛んで回ってました。

Podcast爆笑問題の番組聞いてたまにクスッとなる瞬間が好きでした。

英語の練習で彼女から借りた海外ドラマをガッツリ見てた時期でもありましたね。Buffyって知ってる?今では字幕無くてもそこそこ聞けるようになったと思います多分。

 

「仕事や住まいが変わった6月」

セカンドジョブのラーメン屋にて、シェフにしてくれるならローカル辞めてこっちにがっつり入りますよって言ったら、「本当ですね?言いましたね?」ってなって、ウェイターからシェフに昇格することになりました。もう既にローカルのレストランでは戦力になって辞めるのが惜しまれるくらいの存在にまでなれたし、もう別にそこまで英語環境にこだわってた訳じゃなかったので、給料重視でラーメン屋で働くことにしました。

 

ラーメン屋は当時の家から割と離れていて、オーナーもクレイジーなので新しい家探して移ろうとしたのですが、その時も退去時期とかでもめました。

この時はまじで韓国人へのヘイトがギャンギャンに高まってましたが、俺がファームを旅立つ時に一時間だけ自分の彼女の身体が好きに弄ばされることを許可してくれた天使みたいな韓国人がいたことを思い出し、こんなにいいやつがいるのに、人を国という単位でひとくくりにしようとしていた自分のおろかさに気付き一人涙していました(嘘

 

「落ち着き払っていた7月」

無事韓国人買春宿から脱出し(30分で120ドルだそうです)、今度はイラン人男性の運営するシェアハウスに移りました。

このハウスオーナーは歴代トップクラスにいい人でした。職場からもスーパーからも近く、自然も豊かなところで立地も完璧でした。

 

ラーメン屋での仕事もシフトたくさん貰えるし、麺ゆがいてラーメン盛りつけるだけだし職場も緩かったので非常に居心地がよかったです。

 

7月は割と落ち着いた月でした。

 

また、この月は彼女と一週間程旅行に出かけてそれはそれは夢のような時間でした。この旅行を境に、僕らは更に仲良くなったような気がする。旅行いいよ旅行。

 

「おいおいちょっと待てラーメン屋ァ!8月」

ラーメン屋に異変が。実は5月にオープンしたばかりの店で、最初の数ヶ月は繁盛してたのですが、8月に入ってから急激に暇になりました。

そのあおりを受け、我々の勤務時間は恐ろしいくらい少なくなりました。

 

シフトが徐々に少なくなり始めた頃から、実はライターの副業を始めました。某大手IT会社から仕事を振ってもらい記事を書くのですが、あくまで副業レベルだし仮に本気出して1日10時間作業しても月に20万円程が限界だし、生活の基盤にはなり得ないレベルでした。それでも、文章を書いてお金を貰うという貴重な経験が出来た時期でもありました。

 

それはさておき、ラーメン屋+物書きでの収入では、物価がおかしいことになってるこの豪国では生きていけないので、再び仕事を探し始めました。

週に20時間くらい働ければローカルジョブだと週に500ドルくらい稼げるので、ローカルに絞って仕事探してました。そして縁あって見つかったのが今の仕事です。

最終的には誠実さのかけらもなくなったラーメン屋を早々に立ち去り、ギリシャ料理のレストランで働き始めました。

 

「ケバブ巻きまくった9月」

週に20時間くらいかと思いきや、なんか50時間くらい働いてて収入がどえらいことになりました。

日本人一人もいないし、彼女との会話も英語だし、多分9月あたりから全然日本語しゃべってません。

イラン人のシェアハウス、綺麗だしすごく居心地よかったんだけど、職場からあまりにも遠いので、近場に引っ越しました。それが今の家です。

オーストラリア人のにいちゃんが運営してるところで、散らかってるけど立地の割に家賃安いしいい感じです。

ちなみに職場は市街地のど真ん中で、俺んちはちょっとだけ離れたギリ徒歩圏内のところです。

 

仕事ですけど、英語+慣れない仕事=尋常じゃない位疲れるって感じでした。

身体動かして考えてかつ英語でコミュニケーションするのってもう脳汁でまくりングです。

 

「まさかの正社員昇格10月」

俺のケバブ巻くスピードと美しさ、そして皿洗いの精度が評価され、バイトから正社員(いわゆるフルタイム雇用)になりました。給与も時給制から年俸制になり、有給とかもとれます。

 

この頃から、オーストラリア永住というキーワードが脳裏をちらつくようになりました。もし永住するなら彼女がここの地元のオーストラリア人だし、レストランがスポンサーになる云々言うてるし正社員雇用ならまぁ周囲の方々にも示しもつくやろって思う反面、そうなった場合オーストラリアが、ワーホリという夢現の状態から俺にとっての現実になってしまうし、そもそも俺の海外生活は日本に帰る前提だったし、一体俺氏どうしよう!ってなったけど、まぁまだ一年あるしまだ焦る時間じゃないということで思考停止しました。

 

この段階であと一年か。10月からセカンドビザ突入したんだよなぁ。まじか。

 

「そしてシェフになった11月」

 

ケバブ巻く人からデザートやサラダ作る人になりました。まじかよ。

この頃から夏になり、暖かくなるにつれ忙しさを増していき、もうしこしこと働いてました。

その中でもちょいちょい日帰り旅行したり、色んな場所に行ってみたりオーストラリアを楽しもうとしてましたが、完全に働くことが生活の中心になっていました。

 

正直海外来てまでそんなに働かなくても…って思わないこともなかったですけど、そもそもオーストラリアにきた目的は、ノルウェーに行くための英語力を身につけることとお金を貯めることだったので、ここやと両方達成できるし、まぁ働いててもいっかってなりました。しかもその副産物で料理めちゃくちゃ上手くなったしな。

 

11月はあっという間に過ぎていった。

 

「going down 12月」

 

一年間でもっとも忙しいとされるのが12月。正直、めちゃくちゃ疲れてたと思う。休憩がない日もたくさんあったし、休憩があった時には近くの公園でホームレス達とお昼寝してHP回復。

また、レストラン内での勢力図もがらりと変わってしまい、正直やりづらいことこの上ない。そんな中でも彼女とデートしたり、誕生日やクリスマスをお祝いしたり、家族との食事会も何度かあり、精神的に癒されたりリフレッシュする機会はたくさんありました。

 

そして個人的にも家の事情的にも色々とあり、こちらでの永住も一時期考えていましたが、99%の確率でワーホリ終わったら日本に帰ります。

12月は激務ながらも今後の人生の方向性が少しばかりさだまったのではないかと思います。

 

しかし、11月と12月は鬼のように過ぎていった。

 

とまぁこんな感じで2016年は過ぎていきました。

出来事をまとめたけど、そこにどんな感情があって、何を考えていたのかを後日余裕がある時にしっかり振り返りたいと思います。

 

それでは今回も読んで頂き、ありがとうございました。