オーストラリア人彼女との国際恋愛ブログ、ときどき英会話

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【vol.46】翻訳の技術が発展していく現代、英語を学ぶ意味とは?

皆さん、こんにちは。ワーキングホリデーでオーストラリアのパースに滞在している、ビール飲み過ぎて寝付けない?Hideです。

 

さて、友達のブログ読んでたら、自動翻訳について記事書いてて、海外に住んで一年半が経った者として、この時代に英語を学ぶ意義について考えてみました。俺は、完全に自分で英語を勉強する派です。僕の心は自分で勉強した方がいいって言ってるのですが、なぜいいのかを今論理的に説明する事ができないので、ブログに思いつくまで書きなぐって、それらが磨かれて結論が出るのを待ってみたいと思うので、だんだん結論に近づいていく過程をお楽しみください。それではいってみましょう。

 

はい、まず第一に、単純にテンポ悪くないですかね?お互いの言語が分からないから通訳とか翻訳の仕事がある訳ですけど、出来るなら相手と自分の間で直接コミュニケーションした方が単純に早くないですか?スピードが要求される場面、例えばキッチンや工事現場で働いてて、一回一回翻訳機見てたらその分ロスが発生するし、下手すれば命の危険もありますよね。

 

それに、伝言ゲームのように、間に何か挟むと余計な情報が混ざるんですよね。人間同士でも起こりえるんだから、人間と機械がごっちゃになった世界だと余計混沌としそうです。そのフィルターが完璧だとしても、自分で直接見たり聞いたりした情報を信じたいと思うのです。

 

あと、俺にはどうしても、機械が人間の感情や感性を再現できるとは思えないのです。I love youを月が綺麗ですね、なんて誰が言えましょう?言葉に込められたニュアンス、背景にある複雑な感情の入り乱れた世界を伝える事が機械に出来ますか?「あなたなんて大嫌い」という文章、人間ならそんなこといいつつも本当は好きなんじゃないの?とか、素直になれないの、とかそういう洞察も出来ますけど、多分機械はそのままI hate you.ですよ。

 

映画とか小説読んでても、英語と日本語では若干ニュアンスの違いがあったりしますよね。英語勉強してきた今なら、「え?あれそういう意味なん?」ってなる瞬間結構あります。

 

そして、外人に愛を囁く時。君って本当に可愛いね、っていうのを翻訳してそれ読み上げて、発音悪くて聞き取ってもらえなかったら翻訳した文章見せて、とか、そんなことで口説けるのか甚だ疑問です、って言おうとしたけど、なんかやりようによってはロマンチックになりそうやな。言葉も通じないけど、心同士が引かれ合った二人が一生懸命愛を育むエロ漫画。

 

あかんブレ始めた。

 

でもさ、相手の瞳を一生懸命見つめながら、スマホを相手の方に向けて「Je t'aime(フランス語でI love you)」ってやってるの、何かアホっぽい…笑

 

で、書いてて思いましたけど、いくら翻訳の技術が発展しても、人間のハートの部分については機械はとって代われないのではないでしょうか。翻訳にしても、ただ訳すだけじゃなくて、より感性を研ぎすませて、言葉の深いところにある感情を引きずり出せるような、そういうスキルを持ってる人が生き残っていくような。

 

逆に、公文書とか、業務的な翻訳などについては機械にガンガン仕事奪われていきそうですね。そこまでハートがこもってない部分。

 

つまり誰にでもできる仕事って、多分そこまで感情とかを大事にしない仕事なんでしょうな。逆にこれからも生き残る仕事をする人は、自分や相手の感情を大切にできるような人なんでしょう。

 

ということは、同じ仕事をしていても、よりハートの部分を大事にしていける人が残っていき、相手のハートを直接感じるためにも、コミュニケーションツールである言語を習得した方がいい、というのが僕の見解です。

 

翻訳だけじゃなくて、いかに相手の心をつかむ仕事ができるか、というのがこれから何をする上でも重要なのではないでしょうか。僕も読んでくれてる人の心に残るような文章を書けるようになりたいものです。ほら、いい感じに結論が出た。思いつくまま書いてみるって大事な事ですな。これから何か疑問が出てきたら書きまくろう←迷惑行為

 

それでは今回も読んで頂き、ありがとうございました。